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ベトナム旅行記 6

1月31日(土) 
 今日はフエ郊外にある二人の阮朝皇帝廟を見学した後、バスで約170km、3時間の行程で、ハイヴァン峠・ダナン経由ホイアンに向かう。

◆ トドゥック帝廟とカイディン帝廟
 

 フエには歴代の皇帝廟が幾つか残されていて観光の目玉になっている。阮(グエン)朝は、13代、143年間続いた王朝で、その内、6皇帝の廟がフォーン川流域に点在する。
 今回、行ったのは、トゥドゥック帝廟とカイディン帝廟。世界遺産の建造物である。

 
 午前9時半ホテル発。フォーン川沿いのフランス風の美しい建築が並ぶ瀟洒なレロイ通りを暫く走って左折、およそ15分ほどでトドゥック帝廟に到着。近づくにつれ、道路脇には色とりどりな線香を売る店が目立ちはじめ、入り口には多くの土産物屋が軒を並べていた。

 トゥドゥック帝(在位1848〜83)が生前に、釣りをしたり詩を作ったりして楽しむために1867年に3年の歳月を費やして造った中国様式を取り入れた別荘兼御陵。大きなハス池が特徴的。別荘の建物は取り壊されて今はない。

 中庭の奥に、 正面の衝立壁の両側から入ると屋根覆いもない露天でボックス型の墓がある。だが、実際に葬られた場所は謎のままだそうだ。

 トゥドゥック帝は気性の温和な人でフランスとの交渉事に気が滅入った時、ここに来て憂さを晴らしたと言う。この別荘を作るのに農民に過酷な税を課したため不人気な皇帝であったと言う。
 ちなみにトゥドック帝(嗣徳帝)は日本の明治天皇とほぼ同時代に存命した皇帝である。
  
       
グエン朝の皇帝は皆、人民に不人気か?

 続いて更に奥にあるカイディン帝廟に向かう。トゥドゥック帝廊から車で10分ぐらいである。
カイディン帝廟は、カイディン帝(在位1916〜25)の死後6年も経った1931年にできた。
建設は1920年から12年をも要し国力を削いだ。そのためカイディン帝もベトナム人の評価はあまり高くないそうだ。

 廟は小高い山の斜面を利用して階段状に建てられている。
内部は、外壁の古びた外観からは想像もできないくらいきらびやかであった。伝統的な陶器の螺鈿細工絵 ・人・動物立像 、金ピカのカイディン帝像 などなど。
 階段の広い踊り場には、人と動物の立像が、衛兵が啓成殿を守護するかのよう並んでいる。

 それぞれの帝廟には、その時の皇帝の好みが反映されている。12代のカイディン皇帝は今で言うプレーボーイ風な気性で、フランスに何度も滞在したと言う。この廟はバロック様式や北京・紫禁城の建築様式がミックスされ、他の皇帝廟とは異なった趣が感じられる。 
カイディエン帝廟 陶器のかけらを使った細工絵

 
                            
◆ ダナンへ
  
 11時過ぎ、フエを後にして1号線を南下。ベトナム戦争時当時激しい戦闘の行われたあたり、当時の新聞・ラジオで「1号線」が頻繁に出てきたことが記憶に鮮明だ。1975年テト攻勢以後、このあたりは北正規軍が、サイゴン軍を追って怒涛の如く南下していったところなのだろう。このあたりからダナン、ホイアン、ミーソンへの沿道に、革命戦士の共同墓地と慰霊塔がいくつも車窓から見られた。
 
 海岸にはエビの養殖場がたくさんある。こうやって、かつて豊かだったマングローブ林が消えていったのか。

 約1時間走って、ランコー村の南シナ海に面したドライブインでトイレ休憩。
 椰子のジュースってどんな味?っということで
1つ割ってもらう(1個5000ドン 35円)。

 ランコーの入り江は砂嘴でつくられた湾、遠くからでもわかる白い砂浜と、海辺を飾る小舟の風景がなんとも美しい。その美しさに感動した皇帝が、この地に離宮を建てさせたという話が残っている。
 
 国道1号線には3っつの峠がある。いずれもベトナムとラオスの国境を隔てるチュオンソン山脈が最も海にせり出しているフエ・ダナンの間にある。中でも標高492mのハイヴァン峠は交通の難所だ、九十九折のあちこちに交通事故死者や落石事故犠牲者の慰霊を祭った祠が建っている。

   
おっ! 日本のゼネコンがトンネル掘ってる?

 峠道にかかる手前に、新しい道路が高架橋でつくられつつあった。ガイドのファンさんが言うには、日本の業者がトンネルを掘っていて、その業者の社長をガイドしたことがあると言う。「カジマか?」といったら「そうだ」と言うが、事務所らしき建物の看板に、ちらっと「HAZAMA?」らしき字が目に入ったが、破産しかかっているゼネコンがまさか?と思った。
 が、帰国して調べたらやはり「ハザマ」であった。
 
 ハイヴァントンネルは日本のODA(円借款)援助で、交通の難所となっているハイヴァン峠の交通状況を解決することを目的として建設が進められている全長約6.3kmの道路トンネルであり、ハザマJVは北工区を担当しているとのことであった。
 現在1時間かかる峠越えはトンネル完成後には約6分で通過することが可能となるそうだ。
 
 峠には19世紀初頭にフランス軍が建てた砦やトーチカがあり、太平洋戦争時の日本軍やサイゴン政府軍も使ったと言う。
 
 ハイヴァン峠からの眺めもまた抜群に素晴らしい。登ってきた北側を見下ろせば南シナ海と白砂のランコー入り江、眼を返せばダナン湾が一望できる。
 車を止めてもらい写真を撮ろうとしたが、あいにくガスってしまって残念!

           峠を下ればダナン!

 ベトナム戦争中、南ベトナム最大の米軍基地のもとで賑わった「基地の街」ダナン。
 現在は人口そろそろ100万になろうかという中部最大の商業都市。
 北部と南部を結ぶ幹線道路と鉄道。そして隣国ラオスの南部サヴァナケットからチュオンソン(長山)山脈を越えてくる道路。ダナンはその交又点に当たり,商業中心として栄えている。
 天然の良港をもつ、賑やかな港町でもある。岸壁にはいろいろな船が停泊している。石油積み降ろし用のシーバースも見える。

 16〜17世紀には、「ホイアン」と同じように日本人町があったとされるが、現在ではその痕跡を探すことは難しいという。


 
市内のレストラン アプサラで遅い昼食。

 中部クアンナム地方が誇るフォー「ミー・クアン」(麺の上にピーナッツどっさり、ゴマせんべいを割りいれて なかなかの味)と椰子の実容器に入れて温めた焼き牛肉などなど。

◆ チャム彫刻博物館へ

 ダナンの町には観光するものはあまり無い。チャム彫刻博物館に入る。

 ゆるい傾斜の階段通路、両側の植え込みのそこここに石像が置かれている。
 プルメリアがクリームイエローの花をいくつかつけている(午前中トドゥック廟の墓の前で見たプルメリアは、花も葉もつけないそうだ、種類が違うという。こちらは甘い香りの花を咲かせる)

 パステルイエローに塗られた建物は吹きさらしでガラス窓もない開放的な造り。
 フランス人研究者によって発掘された古代インド・ヒンドゥー文化の影響を受けた数々のチャム(チャンバ)の彫刻が整然と陳列されている。

 リンガ(シヴァ神のエネルギーのシンボル、様式化された男根)や神像、レリーフ、象頭の福神、ガネーシャ(シヴァ神の息子)・クメール美術の影響を受けた石像・仏像や僧侶の像などなど。

 一角に、ミーソン遺跡の復元図と模型が展示されていた。


 ホイアンへの途中、旧米軍ダナン基地跡(現在は、ベトナム軍が使っている)のそばを通り、五行山(大理石で出来ており、Marble Mountainと呼ばれている)の大理石を用いた石像等の加工工場兼売り場を見学した。

 
ホイアンの中心部から離れた海沿いのビーチリゾートホテルに4時半到着。

 
裏手が川、表が南シナ海のビーチに面した戸建て風のホテルで、こんなところに2・3泊してのんびりしたいなと思う素敵なホテルである。
分散型形式の宿泊棟 ベランダ脇に咲いていたプルメリア ビーチリゾート 小船で漁をする漁民


 
夕食は市内の中国風レストランで。

 ここで、30人グループの日本人ツアー二組と一緒になる。あんなに多いとお互いに大変だろうなと思う。
 
   
 デジカメはまだまだ高級品か
  
 わたしがデジカメを取り出して料理を写すたびに、ウエイター、ウエイトレスが興味津々と言った顔で覗き込む。こちらの人にはまだまだ高価で手が出ない品なのだろうか。一人が「いくらするのか?」と聞いてきたので「いろいろあるがわたしのは1000ドル近いよ」と言ったら、眼を剥いていた。

 例の如く今晩のメニュー
     ワンタン、揚げカニ、揚げ春巻き、焼き牛肉、炒め野菜、炒め魚、タイ風サラダ